兄には、どんな未来が見えていただろう。 命を讃えて生きる・第2弾 #2

兄は、幼い頃から病気に苦しんできました。
6歳の頃、中耳炎を患い、その後、蓄膿症の手術を受けました。
回復は思うように進まず、知的な発達にも遅れが見られました。
兄は、人から馬鹿にされ、いじめられながら育ちました。

そして、その後も兄の人生には困難が続きました。
トラックの荷台から転落し、脳挫傷を負ったのです。
意識を失いましたが、命は助かりました。
しかし、後遺症が残り、てんかんの発作を抱えて生きることになりました。
私は今、兄の人生を振り返りながら、一つの問いを持っています。

兄は、自分の未来をどのように思い描いていたのだろうか。
兄にも、夢があった

病気や障害を抱えた人の人生を、私たちはつい、その困難から見てしまいます。
何ができないか。
どのような助けが必要か。
これからどうやって生活していくのか。
もちろん、それらは大切な問題です。
しかし、兄の人生は、それだけだったのでしょうか。
兄にも、好きなことがあり、喜びがあり、自分なりの希望があったはずです。
そして兄は、結婚し、二人の娘に恵まれました。
家族を持つこと。
子どもたちと暮らすこと。
それは兄にとって、どれほど大きな喜びだったでしょう。
私は今、兄が父親になったという事実を、あらためて見つめています。

私たちは何を基準に人を見るのか

私たちの社会には、さまざまな評価の基準があります。
勉強ができる。
仕事ができる。
収入がある。
社会的に成功している。
そうした基準によって、知らず知らずのうちに、人を判断していることがあります。

しかし、病気になったら。
働けなくなったら。
誰かの助けが必要になったら。
その人の命の価値まで変わってしまうのでしょうか。

私は、そうではないと思うのです。
兄の人生を振り返るとき、私は、自分自身が何を基準に兄を見ていたのかを問われます。
兄を、助けなければならない人として見ていたのか。
それとも、自分の人生を生きようとしている、一人の人間として見ていたのか。

命の輝きは、どこにあるのか

兄の人生には、多くの困難がありました。
けれども、兄が生きていた42年の中には、確かに命が輝いた瞬間がありました。
私は、その姿を今も忘れることができません。
それは、家族と別れることになる、ある日の出来事でした。
久しぶりに娘たちと再会した兄。
その姿は、私がそれまで見てきた兄とは、まったく違っていました。
そこには、病気や障害という言葉では語れない、一人の父親の姿があったのです。

人の命は、私たちがつけた評価より、はるかに豊かなものなのかもしれません。

次回「娘たちとの最後の再会。あの日、兄の命は輝いていた。」

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日本リビングビューティー協会
伊藤

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