命を讃える原点「父と母へ 」― 命を讃えて生きる。#5

長い年月をかけて、
父に対する私の見方は変わっていきました。

私を傷つけた父。
母を傷つけた父。
理解できなかった父。

そして、

貧しい時代に生まれ、
裸一貫から懸命に生きた一人の人間としての父。

そのすべてが、
同じ一人の人間の中にありました。


父の行為と、父の命

あるとき、
私の中に一つの区別が生まれました。

父がしたことを
「よかった」と言うことはできない。

しかし、

父がこの世界に生きた、その命まで否定する必要があるのだろうか。

父にも命があった。

少年の父がいて、
青年の父がいて、

夢を持ったことも、
絶望したことも、

笑ったことも、
泣いたこともあったでしょう。

そして懸命に、
その時代を生き抜こうとした。

その命を見ることができたとき、

私はようやく、

父の命を讃える

というところへ辿り着きました。


それは、父のためだけではなかった

長い間、
私は父を許せなかった自分を責めてもいました。

しかし今思うと、

父を一人の人間として見ることができるようになったとき、

救われたのは、
父ではありません。

私自身だったのかもしれません。

過去は変わりません。

けれど、
過去との関係は変わることがあります。

そして過去との関係が変わると、
今の自分の生き方にも、
新しい選択が生まれます。


「命を讃える」

この言葉は、
生命を美化する言葉ではありません。

人生には、

思い通りにならないことも、
失敗も、
傷も、
矛盾もあります。

それでも、

その奥にある一つの命を見る。
完璧だから讃えるのではない。
成功したから讃えるのでもない。
役に立つから讃えるのでもない。

そこに命があるから、その命に敬意を持つ。

私にとって「命を讃える」とは、
そんなところから生まれた言葉なのだと思います。


父と母へ

今なら、
父と母に伝えたい言葉があります。
命をつないでくれて、ありがとう。
懸命に生きてくれて、ありがとう。

私は長い間、
あなたたちの人生を理解することができませんでした。

でも今、
あなたたちから受け取ったこの命を、

私は私の人生として生きています。

そして、この命を、
次の誰かの命につながるように使っていきたいと思っています。

それが、
今の私にできる一つの感謝なのかもしれません。

今日の問い

私は、受け取ったこの命を、どのように生きたいだろう。

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