AI時代の就職活動と、「自分の人生を生きる」という問い
大学3年生の悠人が、夜のリビングでパソコンを開いていました。
理工系の大学で学び、いよいよ就職活動が始まっています。
友人たちはインターンシップに参加し、企業研究を進めています。
AI関連、研究開発、情報技術、新しい産業。
調べれば調べるほど、たくさんの仕事や可能性が出てきます。
でも、悠人の手は止まってしまいました。
「俺……何がしたいんだろう。」
その言葉を聞いた母・美咲は、心配になりました。
「理系なんだから、研究職とかいいんじゃない?」
「AIが進んでも、必要とされる仕事を選ばないとね。」
息子の将来を思っての言葉です。
ところが悠人は、静かに答えました。
「母さんさ……。それって、何をやりたいかじゃなくて、何なら安心かって話でしょ。」
美咲は、言葉を失いました。
そして悠人は、もう一つの問いを口にします。
「何になればいいか、じゃなくて……俺、どう生きたいんだろう。」
この言葉には、今の若者たちが生きている時代の、大きな変化が表れているように思います。
実は、日本の大学生の就職状況を数字で見ると、必ずしも「就職先がない時代」ではありません。
文部科学省・厚生労働省の調査によると、2026年3月卒業予定の大学生の就職内定率は、2026年2月1日時点で92.0%でした。
また、マイナビの2026年卒大学生・大学院生を対象とした調査では、2025年4月末時点で70.0%が内々定を持っていました。
企業が若い人材を求めていることがうかがえます。
しかし、ここに興味深い事実があります。
同じマイナビの調査では、内々定を持ちながら就職活動を続けている学生の62.3%が、不安を感じていました。
その不安の理由で最も多かったのは、
「現在の内々定先企業に入社してよいのか」52.8%。
つまり、就職先が見つかっても、安心できるとは限らないのです。
「就職できるだろうか」という不安と同時に、
「ここに就職して、本当にいいのだろうか」という、もう一つの不安があるのです。
悠人の「何がしたいんだろう」という言葉も、単に就職先が決まらないということだけではないのでしょう。
自分のこれからの人生を、何を基準に選んだらよいのか。
そのこと自体が、難しくなっているのかもしれません。
さらに、AIの普及が就職活動そのものを変え始めています。
マイナビの2027年卒業予定者を対象とした2026年の調査では、就職活動でAIを利用したことのある学生は84.9%でした。
AIに就職活動の相談をしたことがある学生も47.6%。
そして、約3割の学生が、AIを利用する理由として、
「自分だけの考えで決めるのは不安だから」と答えています。
AIは、企業情報を調べたり、文章を整えたり、面接の練習をしたりするうえで、とても便利な存在になっています。
一方で、学生たちはAIの進化によって、将来の仕事がどう変わるのかという不安も抱えています。
同調査では、6割以上の学生が、AIの普及によって自分の就職活動が変化したと回答しました。
ここには、現代ならではの問いがあります。
AIは、膨大な情報を整理し、選択肢を示してくれます。
しかし、「私は、何を大切にして生きたいのか。」
という問いの最終的な答えまで、AIに決めてもらうことはできません。
どんなに技術が進歩しても、その人生を実際に生きるのは、自分自身だからです。
美咲は、悠人のことを心配しています。
幸せな家庭で育ち、大きな苦労もなく大学へ進んだ息子。
優しく、真面目で、家族思い。
でも、競争の激しい社会に出て、本当にやっていけるのでしょうか。
「もっと積極的にならないと。」
「自分から行動しないと。」
「今からそんなことで大丈夫?」
親として、そんな言葉をかけたくなるかもしれません。
ところが、現代の学生たちの仕事に対する価値観を調べてみると、別の姿が見えてきます。
マイナビの2026年卒大学生就職意識調査では、就職観として最も多かったのは、
「楽しく働きたい」37.4%。
続いて注目されるのが、「個人の生活と仕事を両立させたい」25.6%。
一方、「収入さえあればよい」という回答も8.4%と増加傾向にありました。
若者たちは、仕事の楽しさ、生活との両立、経済的な安心など、さまざまな価値の間で考えています。
もちろん、これらの数字だけで若者全体の考えを一つにまとめることはできません。
しかし、少なくとも「競争に勝ちたいと思わないから、意欲がない」と決めつけることはできないでしょう。
もしかすると、若者たちは、「何のために働くのか」
「どんな人生を送りたいのか」
という問いを、私たちの世代とは違う形で持ち始めているのかもしれません。
美咲は、悠人に幸せになってほしいと思っています。
できれば失敗してほしくない。
苦労してほしくない。
安定した仕事に就き、安心して暮らしてほしい。
それは、母親としての愛情です。
でも、その愛情の中に、いつの間にか自分自身の価値観が入り込んでしまうことがあります。
「いい大学に入れば安心。」
「大きな会社なら安心。」
「資格があれば安心。」
「将来性のある仕事なら安心。」
これらは人生を考えるうえで大切な判断材料です。
しかし、安心できる条件をそろえることと、自分自身の人生を生きることは、必ずしも同じではありません。
美咲自身も、48歳になって初めて、そのことに気づき始めたところでした。
これまでの人生で、何度も選択をしてきました。
家族のため。
失敗しないため。
周囲の期待に応えるため。
常識的に考えて、そうするべきだから。
それらの理由には、それぞれ意味がありました。
でも美咲は、源美咲との対話を通して、もう一つの問いに出会ったのです。
「そのうえで、美咲はどうしたい?」
今度は、その問いを息子が生きようとしている。
親子は、年齢も経験も違います。
けれども、同じ問いの前に立っているのです。
第8話の最後、美咲は源美咲に問いかけられます。
「美咲は、悠人にどうなってほしいの?」
「幸せになってほしい。」
「うん。」
「ちゃんと自立して……。」
「自分の人生を……。」
そこで美咲は、言葉を止めました。
「……自分の人生?」
自分自身が、ようやく自分の人生を選び始めたばかりなのです。
それなのに、息子には正しい答えを渡そうとしていたのかもしれません。
ここで考えたいのは、「子どもに助言をしてはいけない」ということではありません。
就職活動には、社会の仕組みを知ることも、情報を集めることも、具体的な準備をすることも必要です。
親の経験が役立つ場面もたくさんあります。
ただ、その前に、子ども自身が何を感じ、何を考えているのかを知ることはできないでしょうか。
「どうして、その仕事に興味があるの?」
「どんなことをしているときが楽しい?」
「今、一番気になっていることは何?」
そして、ときには、
「まだわからないんだね。」
と、そのまま受け止めることもできるかもしれません。
すぐに答えが出ない時間も、その人が自分の人生を考える大切な時間なのです。
JLBAが大切にしている「自立」は、誰にも頼らず、一人で生きることではありません。
人とつながり、支え合いながら、自分で考え、自分で選び、自分の人生を引き受けていくこと。
悠人が母親に「俺、何がしたいんだろう」と話したことも、その一歩なのかもしれません。わからないことを、わからないと言える。
不安なことを、誰かに話せる。
そして、誰かの答えをそのまま自分の答えにするのではなく、そこから自分で考え始める。
そのような力も、これからの時代には大切になるのではないでしょうか。
第8話の最後、美咲は悠人の部屋を訪ねます。
何か言ってあげたい。
でも、どんな言葉をかけたらよいのかわからない。
そこで美咲は、
「……お茶、飲まない?」と声をかけました。
二人でテーブルに座ると、悠人が話し始めます。
「母さん。昨日のことなんだけど……。」
美咲は、静かに答えました。
「うん。聞くよ。」
悠人の未来は、まだ見えていません。
美咲の心配も、なくなったわけではありません。
でも、親子の間に新しい会話が始まりました。
それは、答えを教える会話ではなく、相手の人生を知ろうとする会話です。
今、小さな子どもを育てている方々にとっても、これは遠い未来の話ではないと思います。
子どもたちが大学を卒業する頃、AIや社会の仕組みは、さらに変わっているかもしれません。今ある職業が変化することも、新しい仕事が生まれることもあるでしょう。
その未来を、親がすべて予測して準備してあげることはできません。
だからこそ、今から育んでいきたいものがあります。
自分が何を感じているのかを知ること。
自分の興味や可能性を発見すること。
失敗しても、そこから学び、もう一度選べること。
人と協力し、助けを求めること。
そして、自分自身の言葉で人生を語れること。
それは、就職活動が始まってから急に身につけるものではなく、日々の家庭の会話や、小さな選択の積み重ねの中で育っていくのではないでしょうか。
「今日は何をしてみたい?」
「やってみて、どうだった?」
「どんなところが面白かった?」
「次はどうしたい?」
そのような問いを通して、子どもが自分自身を知る機会をつくっていく。
そして、親自身もまた、自分の人生を生きる姿を見せていく。
子どもに「自分で考えなさい」と言う前に、親自身が「私はどうしたい?」と問い続ける。
そこから、家庭の中に新しい可能性が生まれてくるように思います。
すべての命は、それ自体でかけがえのないものです。
どの大学に入ったか。
どの会社に就職したか。
どれほどの収入を得ているか。
そうした社会的な評価だけで、一人の人間の価値が決まるわけではありません。
一人ひとりに、その人にしか生きられない人生があります。
悠人には、悠人の人生がある。
美咲には、美咲の人生がある。
そして私たち一人ひとりにも、自分自身の人生があります。
命を讃えるとは、その人が自分自身の人生を生きようとする可能性を、大切にすることでもあるのではないでしょうか。
そのために、私たちは何を伝え、どんな会話をしていけるのでしょう。
第8話は、答えを出さずに終わりました。
でも、そこには一つの始まりがあります。
「うん。聞くよ。」
その小さな言葉から、悠人の人生も、美咲の人生も、また新しく動き始めるのかもしれません。
子どもや家族、大切な人と話すとき、少しだけ考えてみませんか。
私は、相手にどんな人生を歩んでほしいと思っているでしょうか。
その願いは、相手自身の願いと同じでしょうか。
私は、相手の言葉をどれくらい聞いているでしょうか。
そして、私自身は今、どんな人生を生きたいのでしょうか。
答えを急がなくても大丈夫です。
まずは、一つの問いから。
あなた自身の人生にも、新しい会話が始まるかもしれません。
Living Beauty Stories 第8話「俺、何がしたいんだろう。」より