「野菜も食べなさい」
「早く寝なさい」
「ゲームばかりしていないで」
子どものことを思うからこそ、
親はつい、いろいろなことを言います。
健康でいてほしい。
幸せになってほしい。
自分の人生を大切にしてほしい。
その願いの奥には、深い愛情があります。
でも、子どもは、私たちが思っている以上に大人をよく見ています。
「野菜を食べなさい」と言いながら、
大人がおいしそうに食べていなかったら。
「身体を大切にしなさい」と言いながら、
いつも無理をしていたら。
「人生を楽しみなさい」と言いながら、
大人が毎日つらそうにしていたら。
子どもは、どちらを受け取るでしょう。
子どもは言葉だけで学んでいるのではありません。
人は、他者の行動を観察することからも学ぶことが知られています。
特に幼い時期には、
身近な大人の行動そのものが、
世界を知る大切な手がかりになります。
だからこそ、
何を教えるかと同じくらい、
私たちがどう生きているか。
そこに大きな意味があるのでしょう。
大人はつい、
「まだ子どもだから」「教えてあげなければ」と思います。
でも少し見方を変えてみると、
子どもの中にはすでに、たくさんの力があります。
知りたい。
触ってみたい。
やってみたい。
自分で確かめたい。
「これ何?」「どうして?」と何度も聞くのも、
生命が世界へ向かって伸びている姿なのかもしれません。
私たち大人の役割は、
その子を「正しくする」ことより、
すでにその子の中にある可能性が
育っていく環境をつくること。なのではないでしょうか。
たとえば食卓でも、「野菜を食べなさい」と言う代わりに、
大人が旬のトマトを食べて、
「わあ、甘いね」と言ってみる。
一緒に果物を切って、
「いい香りだね」と話してみる。
畑で採れた野菜を見て、「こんな小さな種から育つんだね」と驚いてみる。
そこには、命令も勉強もありません。
でも子どもの中に、
「食べてみようかな」「やってみたいな」「これって何だろう?」
という小さな好奇心が
生まれるかもしれません。
その「やってみたい」こそ、
生命力の表れなのだと思います。
夏休みも、残り少なくなってきました。
宿題は終わったかな。
新学期は大丈夫かな。
親としては、
いろいろ気になる時期でもあります。
でも今年は少しだけ、「できていないこと」ではなく、
この子の中には、
どんな可能性があるのだろう?
という目で、子どもを見てみませんか。
そして同時に、自分にも問いかけてみる。
私は今日、どんな背中を見せているだろう。
完璧な親である必要はありません。
失敗しても、
疲れていても、
また笑えばいい。
おいしいものを、「おいしいね」と食べる。
自分の身体を大切にする。
知らないことに、「面白いね」と一緒に驚く。
そんな大人の姿を見ながら、
子どもは育っていきます。
そして、いつかその子が大人になったとき、
自分の身体を大切にし、
自分で考え、
自分の人生を選べる人になっていたら。
それは、
私たちが未来へ手渡せる
とても大きな贈りものではないでしょうか。
子どもを変えようとする前に、
その子の中にある生命力を信じてみる。
未来は、そんな大人のまなざしから
始まるのかもしれません。
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