今週、私たちは世界の子どもたちの現実を見つめてきました。
学校へ行きたくても行けない子どもたち。
十分な食事や医療を受けることが難しい子どもたち。
生まれた環境によって、人生の選択肢が制限されている人々。
その現実に出会ったとき、あなたの中にはどんな言葉が生まれたでしょうか。
「かわいそう」
「不公平だ」
「何とかならないのだろうか」
「私には何もできない」
そのどれもが、今の自分を知る手がかりになるかもしれません。
私たちは日常の中で、さまざまな言葉を使っています。
「私には無理だ」
「もう遅い」
「現実はそんなものだ」
「誰かが何とかするだろう」
そうした言葉は、これまでの経験や社会の中で身につけてきたものかもしれません。
けれども、その言葉だけで未来を考えていると、まだ知らない可能性まで、今の条件の中に閉じ込めてしまうことがあります。
ここで、一つの例え話をしてみたいと思います。
もし、芋虫たちが集まって、空を飛ぶことについて話し合ったとしたら、どんな会話になるでしょう。
「羽がないのだから、飛べるはずがない」
「身体が重すぎる」
「地面を這って生きるのが、私たちの現実だ」
どれも、今の芋虫の姿から考えれば、もっともらしい理由です。
けれども、芋虫は変化の過程を経て、蝶になります。
蝶は、芋虫だった時間を否定して飛ぶようになったのではありません。
その時間も含めて、まったく違う姿へと変わっていきます。
私たち人間もまた、これまでの経験だけでは想像できなかった未来に出会うことがあります。
もちろん、人間の社会が蝶の変態と同じ仕組みで変わるわけではありません。
それでも、この例えは、私たちがどのように未来を考えているかを問いかけてくれます。
今の条件だけで、まだ知らない未来を決めてはいないでしょうか。
JLBAは「命を讃える」という言葉を大切にしてきました。
それは、自分の人生がうまくいくことだけを願う言葉ではありません。
世界のどこに生まれた命も、かけがえのない存在として受け取る。
その立場から、自分の人生と世界を見つめていく。
そして、まだ答えのないところから、新しい可能性を考えていく。
私たちは、世界の問題をすぐに解決することはできません。
しかし、その問題を「自分には関係がない」と終わらせず、問いとして持つことはできます。
それは、何かをしなければならないという義務とは違います。
自分は、どのような世界を望んでいるのだろう。
どんな命のあり方を大切にしたいのだろう。
その問いから、今までとは違う考え方が生まれるかもしれません。
今、AIをはじめとする技術が急速に発達しています。
これまで難しかった学習支援や医療、食料生産などの課題に、新しい方法が生まれる可能性があります。
しかし、技術が発達するだけで、すべての命が大切にされる社会になるとは限りません。
その技術を、誰のために、何のために使うのか。
そこには、私たち人間の選択が関わっています。
AIが広げるのは、私たちにできることの可能性。
「命を讃える」という立場が問うのは、その可能性をどのような未来のために使うのか。
私たちは、まだ知らない未来の入り口に立っているのかもしれません。
今週、私たちは世界の現実に出会いました。
その現実を知ったことで、心の中に何かが残っているかもしれません。
すぐに答えを見つける必要はありません。
無理に行動を決める必要もありません。
ただ、今までとは少し違う問いを持つことができたなら。
それは、あなた自身の世界の見え方に、新しい可能性が生まれたということかもしれません。
もし、今までの経験や条件だけで未来を決めなくてもよいとしたら。
あなたは、どんな世界を望みますか。
そして、その世界を、どんな言葉から創り始めたいでしょうか。
「命を讃える」
その言葉を、今日は自分自身の問いとして受け取ってみませんか。
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