「仕方がない」と思ったとき、何が見えなくなる?-世界とわたしの命ー

地球と食の未来 Nov 05, 2026

「世の中、そんなものだから。」

私たちは日常の中で、この言葉を使うことがあります。

仕事で理不尽なことがあったとき。
家庭の中で、自分の気持ちを後回しにしたとき。
誰かが不公平な扱いを受けていると知ったとき。

「仕方がない」

その言葉には、現実を受け入れて生きていくための知恵もあります。

けれども今日は、その言葉の向こう側を、少し見てみたいと思います。

それは、本当に変えられないことなのでしょうか

世界には、生まれた性別や家庭の経済状況、障がいの有無、暮らす地域などによって、教育や仕事の機会が制限される人々がいます。

例えば、女の子だから学校に行かなくてよいと考えられている地域。
障がいのある子どもが通える学校や設備が十分に整っていない地域。
家庭に経済的な余裕がなく、学びを続けることが難しい地域。

こうした問題を知ったとき、

「その国の事情だから」
「昔からそういう社会なのだから」

と考えることがあるかもしれません。

けれども、私たちが「昔からそうだった」と考えることも、歴史の中で変わってきました。

当たり前は、変わってきた

かつて、女性が学ぶことや働くことを制限されていた社会でも、教育や仕事への参加の機会が広がってきました。

子どもが学校へ通うことが難しかった地域でも、教育制度の整備や家庭への支援によって、学べる子どもが増えた例があります。

もちろん、今も多くの課題が残されています。

進歩があれば、後退することもあります。

それでも、歴史を振り返ると、私たちが今「当たり前」と思っていることの中には、かつて誰かが「無理だ」と考えていたことが含まれています。

では、社会はなぜ変わってきたのでしょう。

新しい制度がつくられたから。
教育が広がったから。
多くの人が声を上げたから。

さまざまな理由があります。

そして、その背景には、

「今のままでよいのだろうか」

と問いを持った人々がいたのではないでしょうか。

自分の人生にもある「仕方がない」

ここで、世界の話から少し自分の生活へ戻ってみたいと思います。

「もう、この年齢だから」
「家族がいるから」
「私には特別な才能がないから」

そんな言葉で、自分の可能性を決めたことはありませんか。

もちろん、現実には簡単に変えられない条件もあります。

しかし、条件があることと、その条件だけで未来のすべてが決まることは、同じではありません。

世界の課題を考えることは、私たち自身の人生の見方を問い直すことにもつながります。

「命を讃える」という立場から

JLBAは「命を讃える」という言葉を持ちました。

それは、今ある現実を否定するための言葉ではありません。

現実をしっかりと受け取りながら、そこにまだ見えていない可能性があるかもしれないと問い続ける立場です。

「仕方がない」

そう思ったとき、私たちは何を見ているのでしょう。

そして、何を見なくなっているのでしょう。

そのことに気づくだけでも、世界の見え方は少し変わるかもしれません。

🌱 今日、あなたの中に生まれた問い

あなたが最近「仕方がない」と思ったことは何でしょう。

その言葉は、何かを受け入れるために必要だったのでしょうか。

それとも、まだ考えたことのない可能性を閉じる言葉になっていたでしょうか。

今日は、その問いを持ってみませんか。

◆関連記事
「努力すればできる」は、誰でも同じだろうか?

Close

ローヴィーガンマイブランド特別支援金訓書