世界のどこかで、子どもたちが十分な食事をとれずにいる。
紛争によって、住む場所を失った家族がいる。
教育を受けたくても、学校へ通えない子どもがいる。
そんなニュースを見たとき、私たちの中に浮かぶ言葉があります。
「何とかならないのだろうか」
そして、その次に、
「でも、私には何もできない」と思ったことはありませんか。
この言葉は、決して冷たい言葉とは限りません。
何とかしたい気持ちがあるからこそ、自分の力の小ささを感じることもあります。
世界の問題は大きく、複雑です。
一人の力ですべてを変えることはできません。
それは確かなことです。
けれども、ここで少し考えてみたいのです。
「すべてを解決できない」ということと、「何もできない」ということは、同じなのでしょうか。
私たちは、いつの間にか、この二つを同じ意味で使っているのかもしれません。
子どもの頃から、私たちはさまざまなことを教わってきました。
できることをしなさい。
無理なことはしない方がいい。
現実をよく見て判断しなさい。
それらは、生活していくために役立つ考え方です。
しかし、その考え方だけで未来を判断していると、まだ経験したことのない可能性を、最初から除いてしまうこともあります。
例えば、今まで空を飛んだことのない芋虫が、飛ぶことについて話し合ったとしたら、どうでしょう。
「羽がない」
「身体が重すぎる」
「飛ぶなんて無理だ」
どれも、今の姿から見れば、もっともらしい理由です。
けれども、蝶になるという変化は、その時点の芋虫の姿だけからは想像しにくいものです。
私たちもまた、今の自分の条件から、未来の可能性を決めていることがあるのではないでしょうか。
世界の貧困を知ったとき、
「国が解決するべきだ」
「専門家でなければ何もできない」
そう考えることもあるでしょう。
もちろん、社会制度や政策、専門的な取り組みは欠かせません。
個人の善意だけでは解決できない問題が、確かに存在します。
それでも、その現実を知った私たちは、自分がどのような立場から世界を見るのかを考えることができます。
JLBAが大切にしている「命を讃える」。
その立場から、もう一度問いかけてみたいのです。
「私には何もできない」と結論を出す前に、私はこの現実をどう受け取っているのだろう。
何かをしなければならないわけではありません。
すぐに答えを見つける必要もありません。
ただ、これまで当たり前に使ってきた言葉が、自分の未来の可能性を決めていないか。
そこに気づくことから、新しい考えが生まれるかもしれません。
「私には何もできない」
そう思った経験はありますか。
そのとき、本当に何もできなかったのでしょうか。
それとも、まだ知らない可能性を、考える前に閉じていたのでしょうか。
今日は、その違いを静かに見つめてみませんか。
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