「頑張れば、きっとできるよ。」
子どもを励ますとき、私たちはこんな言葉を使います。
私自身も、これまで何度も使ってきた言葉です。
努力すること。
諦めないこと。
自分の力で未来を切り開くこと。
どれも、人生を生きるうえで大切なことだと思います。
でも、今日は少し違う角度から、この言葉を考えてみたいのです。
ある子どもは、朝起きると学校へ行きます。
教室には先生がいて、教科書があり、学ぶための時間があります。
一方、世界には、朝から家族の生活を支える仕事をしなければならない子どもがいます。
学校へ行きたい。
文字を覚えたい。
将来は、誰かの役に立つ仕事をしたい。
そんな願いを持っていても、今日を生きるために働かなければならない。
その子どもに、私たちは何と言うでしょうか。
「もっと努力しなさい」
そう言えるでしょうか。
世界の子どもの貧困について、ユニセフは2025年の報告書で、約4億1,200万人の子どもが
1日3ドル未満で暮らす極度の金銭的貧困状態にあると伝えています。
これは、単にお金が少ないという問題ではありません。
栄養、住まい、医療、教育。
人生の可能性を育てるために必要なものが、十分に得られない状況と結びついています。
私たちは、自分が経験してきた世界を基準にして物事を考えます。
学校に通えた人にとって、学校は通うもの。
食事ができる人にとって、食事は毎日あるもの。
何かに挑戦できる人にとって、挑戦するかどうかは自分の選択。
でも、すべての人が同じ条件の中にいるわけではありません。
ここで問い直したいのは、努力の価値ではありません。
努力できる環境そのものが、すでに大切な機会なのではないか。
ということです。
そして、もう一つ。
私たちは誰かの人生を見たとき、知らないうちに、その人自身の努力や能力だけで判断していないでしょうか。
「どうして、もっと頑張らないの?」
「なぜ、自分で何とかしないの?」
そう思ったことがあるかもしれません。
でも、その人が置かれている状況を、私たちはどれほど知っているのでしょう。
JLBAは「命を讃える」という言葉を大切にしています。
それは、誰かを立派な人と評価することでも、成功した人を称えることでもありません。
うまくいっている命も、困難の中にある命も、等しくかけがえのない存在として受け取ること。
その立場に立ったとき、私たちの人を見る目は、少し変わるかもしれません。
「この人は、なぜできないのだろう」
という問いから、
「この人には、どんな現実があるのだろう」という問いへ。
そして、
「この人には、どんな可能性があるのだろう」という問いへ。
誰かの人生を、今の状況だけで決めつけない。
それは、私たち自身の可能性を決めつけないことにもつながっているのではないでしょうか。
あなたがこれまで「努力すればできる」と考えていたことは何でしょう。
その努力を可能にしてくれた環境や人々が、あなたの人生にもいなかったでしょうか。
そして今、誰かの人生を見たとき、あなたは何を基準に判断しているでしょう。
今日は、その問いと一緒に過ごしてみませんか。
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参考資料
UNICEF『世界子供白書2025:子どもの貧困をなくすために 私たちが共有する使命』