朝、子どもが学校へ出かけていく。
「いってらっしゃい。」
いつもと変わらない朝の風景です。
学校へ行き、友達と会い、授業を受ける。
帰ってきたら、今日あったことを話し、夕食を食べる。
私たちが何気なく過ごしている、そんな一日。
けれども、同じ朝。
世界には、学校へ行きたくても行けない子どもたちがいます。
家族の生活を支えるために働かなければならない子ども。
紛争によって、学校へ通えなくなった子ども。
女の子だからという理由で、学ぶ機会を制限されている子ども。
その一人ひとりにも、名前があり、家族があり、好きなことがあり、未来への願いがあるはずです。
UNESCOが2026年に公表した推計によれば、2024年には世界で約2億7,300万人の子どもや若者が学校に通えていませんでした。
これほど多くの子どもたちが、教育を受ける機会から取り残されているという現実があります。
この数字を知ったとき、あなたは何を感じましたか。
「かわいそうだな」
「どうして学校へ行けないのだろう」
「国が何とかするべきではないか」
「私には何もできない」
どんな言葉が浮かんだとしても、まずは、その自分の反応に気づいてみたいのです。
私たちは日常生活の中で、たくさんの判断をしています。
努力すればできる。
勉強したければ学校へ行けばいい。
自分の人生は自分で切り開くものだ。
そうした考え方は、私たち自身の経験の中で育まれてきたものかもしれません。
けれども、学びたくても学べない子どもたちの現実に出会うと、その考え方だけでは理解できないことがあります。
学校が遠すぎる。
授業料や通学に必要な費用を払えない。
家族の安全を守るために、住んでいた場所を離れなければならない。
本人の努力だけでは変えられない条件が、確かに存在するのです。
そこで、もう一つ問いが生まれます。
私が「当たり前」だと思っていたことは、本当に誰にとっても当たり前なのでしょうか。
JLBAは、これまで「自分の人生を、自分で生きる」ということを大切にしてきました。
そして今、もう一つの問いを持ちたいと思います。
自分の命を大切にするということは、世界の誰かの命を、どう受け取ることなのでしょう。
私たちは、世界の問題をすぐに解決できるわけではありません。
けれども、その現実を知ったとき、これまでの考え方を問い直すことはできます。
「仕方がない」
「私には関係がない」
そう結論づける前に、少しだけ、その現実と一緒にいてみる。
答えを急がず、自分の中に生まれた言葉に耳を傾けてみる。
それもまた、世界との新しい出会いではないでしょうか。
私たちが大切にしている「命を讃える」とは、すべての問題の答えを持つことではありません。
どこに生まれた命も、かけがえのない存在として受け取る。
その立場から、自分と世界をもう一度見つめることです。
世界の子どもたちの現実を知ったとき、最初にどんな言葉が浮かびましたか。
その言葉は、あなたのどんな経験や考え方から生まれたのでしょう。
今日は、答えを出さなくてもかまいません。
その問いを、心のどこかに置いてみませんか。
参考資料
UNESCO(2026年公表)、世界の就学していない子ども・若者に関する推計(2024年対象)。
※世界の教育状況は地域や国によって異なります。本文の事例は、教育機会を妨げる代表的な要因を示したものです。