ちゃんとしなければ。
家族を優先しなければ。
仕事は最後までやらなければ。
健康でいるためには、こう食べなければ。
人に迷惑をかけてはいけない。
年齢を考えなければ。
私たちの暮らしの中には、たくさんの「べき」があります。
「べき」は、決して悪者ではありません。
社会の中で人と一緒に生きていくために必要なこともあります。
責任を持つこと。約束を守ること。誰かを思いやること。
そうしたことによって、私たちの暮らしは成り立っています。
でも、「べき」があまりに増えてくると、
いつの間にか、「私はどうしたい?」が見えなくなることがあります。
特に、家族や周りの人を大切にしてきた人ほど、
自分より先に、「みんなはどう思うだろう?」
と考えることがあります。
子どものこと。
夫や妻のこと。
親のこと。
仕事仲間のこと。
気がつけば一日中、誰かのことを考えている。
そして夜になって、
「今日、私は何をしたかったんだろう?」
と聞かれても、よく分からない。
そんなこともあるかもしれません。
それは、自分を大切にしてこなかったからではありません。
むしろ、たくさんの人を大切にして生きてきたからこそ。
だからこそ今度は、その「大切な人」の中に、
自分自身も入れてあげたい。そう思うのです。
同じことをしていても、
「しなければ」と思ってすることと、
「私はこれをする」と選んですることでは、
内側の感覚が少し違います。
家族のために食事をつくる。
「私が作らなければ」と思う日もあるでしょう。
でも、「今日は、みんなにこれを食べてもらいたい」と思ってつくる日もある。
やっていることは同じです。
けれど、そこに自分の意思があるとき、行動の中に少し生命力が戻ってきます。
大切なのは、「べき」を全部なくすことではありません。
「べき」を、「私はこれを選ぶ」に変えられるものがないか探してみること。
そこから、いつもの暮らしが少し違って見えてきます。
自分らしく生きるというと、
何か特別な人生を生きることのように聞こえるかもしれません。
でも、本当はもっと静かなことではないでしょうか。
家族を大切にする私もいる。
仕事を頑張る私もいる。
誰かのために動く私もいる。
そして、疲れる私もいる。遊びたい私もいる。何もしないでいたい私もいる。
新しいことをやってみたい私もいる。
その全部を、自分の人生の中に置いてあげる。
「こうあるべき自分」だけではなく、
今ここにいる自分を、一度ちゃんと見てみる。
そこから、本当の選択が始まるのかもしれません。
🌱 今日の小さな生命力
今日は、自分の中にある「○○しなければ」を一つ見つけてみましょう。
そして、その後にこう問いかけます。
「私は、これを選びたい?」YESでもNOでもかまいません。
変えられなくてもかまいません。
ただ気づく。そこから、自分の生命力との対話が始まります。
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