私たちは、何かを良くしようとすると、
「何を足せばいいだろう?」と考えます。
健康になるために、
もっと栄養の知識を。
仕事で成功するために、
もっとスキルを。
自分を成長させるために、
もっと勉強を。
そして気づけば、
もっと。
もっと。
もっと。
と、自分にたくさんのものを足し続けています。
もちろん、学ぶことも成長することも素晴らしいことです。
でも今日は、反対の方向から考えてみたいと思います。
何かを足すのではなく、少し手放したら何が見えるでしょう。
「ちゃんとしなければ」
「迷惑をかけてはいけない」
「母親だから」
「この年齢だから」
「今さら変わるのは難しい」
「私はこういう人だから」
一つひとつは、これまで生きてきた中で身につけてきた考え方です。
それによって守られたこともあったでしょう。
頑張れたこともあったでしょう。
だから、それを悪者にする必要はありません。
ただ、ときどき聞いてみる。
「これは、今の私にも必要だろうか?」
昔は必要だったけれど、
今はもう手放してもいいものがあるかもしれません。
一本の木を見ていると、不思議に思います。
木は、
もっと立派にならなければ。
隣の木より美しくならなければ。
もっと評価されなければ。
とは考えていません。
ただ、その木として生きています。
春になれば芽を出し、
夏には葉を茂らせ、
秋には実を結び、
冬には葉を落とす。
必要なときには育ち、
必要なときには手放す。
そこには、とても自然な生命の循環があります。
私たち人間も、本来は自然の一部です。
けれど社会の中で暮らしていると、
「もっと何かにならなければ」
という声に囲まれてしまいます。
そんなとき、
自然に触れると、なぜかほっとすることがあります。
もしかすると自然は、
「そのまま生命でいていい」
ということを思い出させてくれるのかもしれません。
予定を一つ減らす。
スマートフォンを少し置く。
「こうしなければ」を一つやめてみる。
食べ過ぎているなら、少し身体を休ませる。
何かを手放すと、そこに「余白」ができます。
その余白の中で初めて、
風の音に気づいたり、
身体の疲れに気づいたり、
「本当はこうしたかった」という声が聞こえたりします。
本来の自分に還るために、
新しい何かを手に入れる必要はないのかもしれません。
少しずつ余計なものを手放していく。
すると、その奥から、
ずっとそこにいた自分が見えてくる。
そんなこともあるのではないでしょうか。
今日は、
「今の私には、もうなくてもいいかもしれないもの」を一つ探してみましょう。
物でなくてもかまいません。
予定。
習慣。
「こうするべき」という考え。
ほんの一つ手放して、
そこにできた余白を感じてみてください。
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