足すより、手放すことで見えてくるもの ― 本来の自分に還る。DAY2 ―

 私たちは、何かを良くしようとすると、

「何を足せばいいだろう?」と考えます。

健康になるために、
もっと栄養の知識を。

仕事で成功するために、
もっとスキルを。

自分を成長させるために、
もっと勉強を。

そして気づけば、
もっと。
もっと。
もっと。

と、自分にたくさんのものを足し続けています。

もちろん、学ぶことも成長することも素晴らしいことです。
でも今日は、反対の方向から考えてみたいと思います。

何かを足すのではなく、少し手放したら何が見えるでしょう。

私たちは、たくさんのものを身につけてきた

「ちゃんとしなければ」
「迷惑をかけてはいけない」
「母親だから」
「この年齢だから」
「今さら変わるのは難しい」
「私はこういう人だから」

一つひとつは、これまで生きてきた中で身につけてきた考え方です。

それによって守られたこともあったでしょう。
頑張れたこともあったでしょう。
だから、それを悪者にする必要はありません。

ただ、ときどき聞いてみる。
「これは、今の私にも必要だろうか?」

昔は必要だったけれど、
今はもう手放してもいいものがあるかもしれません。

自然は、「もっと」と言わない

一本の木を見ていると、不思議に思います。

木は、

もっと立派にならなければ。
隣の木より美しくならなければ。
もっと評価されなければ。

とは考えていません。

ただ、その木として生きています。

春になれば芽を出し、
夏には葉を茂らせ、
秋には実を結び、
冬には葉を落とす。

必要なときには育ち、
必要なときには手放す。

そこには、とても自然な生命の循環があります。

私たち人間も、本来は自然の一部です。

けれど社会の中で暮らしていると、
「もっと何かにならなければ」
という声に囲まれてしまいます。

そんなとき、
自然に触れると、なぜかほっとすることがあります。

もしかすると自然は、
「そのまま生命でいていい」
ということを思い出させてくれるのかもしれません。

手放したところに、余白が生まれる

予定を一つ減らす。
スマートフォンを少し置く。
「こうしなければ」を一つやめてみる。
食べ過ぎているなら、少し身体を休ませる。

何かを手放すと、そこに「余白」ができます。

その余白の中で初めて、
風の音に気づいたり、
身体の疲れに気づいたり、

「本当はこうしたかった」という声が聞こえたりします。

本来の自分に還るために、
新しい何かを手に入れる必要はないのかもしれません。

少しずつ余計なものを手放していく。

すると、その奥から、
ずっとそこにいた自分が見えてくる。

そんなこともあるのではないでしょうか。

🌱 今日の小さな生命力

今日は、
「今の私には、もうなくてもいいかもしれないもの」を一つ探してみましょう。

物でなくてもかまいません。

予定。
習慣。

「こうするべき」という考え。

ほんの一つ手放して、
そこにできた余白を感じてみてください。

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